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札幌本部

2024.04.11

自然と人々が支える地域と食 <下>

********** 道南への玄関3町リポート 黒松内・寿都・蘭越 **********

 旅はまだまだ続く。寿都から車で約40分。ガラッと風景が変わり、辺りは一面雪で真っ白におおわれている。3つめに紹介するのは、ニセコ山系の麓に位置し、山から湧き出る清水が注ぐ広大な稲作地帯を誇る蘭越町。

【蘭越で生産されるブランド米「らんこし米」。厳しい基準をクリアした選ばれしお米だ】

 蘭越町はお米のほかにも、様々な畑作物の一大産地として、一帯の食料生産で重要な役割を担っている。中でも、そばの生産で随一の規模を誇る有限会社「ファームトピア」の代表、走出(そで)邦章さんに会社の事務所にてお話いただくことができた。

 会社では延べ600ヘクタール弱の土地を保有しており、蘭越町以外に、黒松内町と乙部町に点在する農地を一括で管理しているメガファームだ。この農地のうち、およそ500ヘクタールと最も多くの耕地面積を占める作物がそばであり、黒松内の「奈川」とは異なり、北海道で生産するのに適した品種である「キタワセ」などを扱っている。ファームトピアは、昨年度に全国そば優良生産者表彰において大臣賞を受賞するなど、そば生産における模範ともいえる管理を行っている。

 北海道のそば生産は本州と比較していくつかの特徴がある。夏型と呼ばれる6月ごろに播種し、9月ごろに収穫を迎える品種が広く作付けられており、さらに生育にかかる時間が非常に短い。平均的なそばは播種後70から80日ほどで成熟期を迎えるとされているが、道南では60日ほどで収穫されることもあるそうだ。走出さんは、この一帯はそば生産に比較的適した気候だという。なんでも、北海道北部がそばの一大産地として有名だが、生産に適した温度の期間が短いことから、単収は低いのだとか。

 事務所の奥には、製粉工場が併設されており、自社で製粉を行い、取引先の蕎麦屋との直接的なやり取りを可能にしている。そばは元々、価格の変動が非常に激しい作物であり、一種の「博打作物」とも言える側面があるという。そこで、そば粉にすることで、蕎麦屋に直接卸す分の価格変動は少なくなり、製粉会社に売る分も、収穫物で取引する場合に比べて変動を抑えられるそうだ。

【事務所にて会社で行っている農業について語ってくださった走出さん】

 最近ではこの地方で、さつまいもの生産も増えてきているようだ。道南の比較的温暖な時期が長い気候と、海風を受けることで夜温が下がらないという地域的特徴を生かして、生産を行っており、本来は北海道で作れないと言われてきた品種「安納芋」(あんのういも)にも挑戦中であるという。黒松内町の今田農園さんからは「紅あずま」というホクホク系のさつまいもをおすそ分けしていただいたのだが、蒸かすと柔らかく、品種の特徴であるほのかな甘みが出て、とても美味しかった。

【黒松内道の駅の野菜コーナーに並ぶ今田農園のさつまいも】

 ファームトピア訪問の最後に、走出さんからこの地域の畑作農家の厳しさについてお話しいただくことができた。現状、農家は2つの大きな課題に直面しているという。経済的問題と、離農による担い手不足だ。未だに、農家から消費者へと作物が渡る流通の過程には多くの段階があり、農家の手取りは少ない。この前提のうえに、近年の資材価格の高騰や賃上げの影響が重なり、本来であれば生産物価格を1,2割上げなければ間に合わない状況だという。しかし、実際は極端な不作を除けばおよそ30年間、農作物の値段は変わっていない。また、例外なくこの地域でも離農が進んでおり、ファームトピアで農地を引き受けるのも限界を迎えているという。

 今回の取材では、地域の特色を生かした多様な作物の作付けの可能性と、一方で農家の厳しさという2つの視点から学びになるお話を聞くことができた。


 この旅の最後には、黒松内役場にて鎌田満町長から町の食料生産の未来についての思いを語ってもらった。

 町としてのコンセプトが明確に定まったのはおよそ35年前。当時、黒松内町ではその牧歌的な風景から、ヨーロッパ風のまちづくりを目指して、道の駅や宿泊施設をはじめとする交流施設が造られた。元々その地に根付いていた酪農からチーズを作り、パンを作るために小麦の生産にも乗り出した。当時の小麦は決して、パン作りに適した品種ではなかったが、先人たちの努力の甲斐あって、製パン性の優れた小麦の安定的な生産が可能になってきたのだ。今では道産小麦と町のチーズを組み合わせた自家製のピザやパンが道の駅の名物となっている。

 一方でこの地の自然はこれまで、様々な大規模事業を乗り越えて守られてきた。太陽光や風力などの再生化のエネルギー事業や、新幹線のトンネル工事や高速道路工事などの際には議会で深い議論がなされ、住民との対話も活発に行われた。住民の自然保護や景観保全への意識の高さを日々感じると町長はおっしゃっていた。

 このような人と自然の調和を大切にする文化から、町長は未来の食料生産に向けたビジョンとして、「目立った農産物も特にあるとは言えないが、自然をこのままの形でできるだけ手を付けずに残していきたい」と考えており、それは35年前にまちづくりに着手した時から変わっていないという。

【鎌田町長(左)と意見交換をする畑作農家の佐藤英幸さん=町役場】

                

 黒松内町をはじめとする道南への玄関口、後志管内の3つの町の「食と自然のアーカイブ」をつくる狙いで、今回は様々な方にお話を伺うことができた。人々の温かさに触れ、圧倒的な自然を見て、帰るころにはすっかりこの地域が大好きになっていた。

 日本には私の知らないこのような自然の残る地域があとどのくらい残されているのだろうかと考える。10年後、20年後、このような町は今の姿のままであるだろうかとも。日々のせわしない時間の流れの中に身を置いていると、忘れてしまうような本源的な喜びという感情を、この地域は思い出させてくれる。心のどこかでいつも、このような自然や人々に支えられた食料生産の未来を考えられる人間でありたいと思う。

 =終わり=

(「さっぽろ農学校」リポーター・佐藤春佳=国際食資源学院修士1年、写真も)