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札幌本部

2024.02.02

一期生大島正健の曽孫が来学、曾祖父の学位記など見学

札幌農学校一期生大島正健(まさたけ、1859~1938年)の曽孫、大島正伸(まさのぶ)さんが1月31日、北海道大学を訪れ、大学文書館に展示されている正健の学位記を見学した。また、宝金清博北大総長、横田篤北大理事・副学長(元農学研究院長、当会顧問)、松井博和北大名誉教授・札幌農学同窓会理事長らと面談し、曾祖父の思い出などを語った。

【宝金総長(左端)、松井名誉教授(左から2人目)、横田副学長(同3人目)と面談する正伸さん(右)=総長室】

正健は開校の1976(明治9)年に入学し、クラーク教頭の徳育を直接受けた一人で、後に北海道大学初代総長に就任した佐藤昌介、北海道水産の父である伊藤一隆らと同期生。翌年クラーク離任時に、他の生徒や教員らとともに島松駅逓所付近(現北広島市島松)まで見送った際、クラークが馬上から学生たちに向って"Boys, be ambitious like this old man."の言葉を残した情景を後に自著で伝え、それが当時の国定教科書に掲載されて全国に知られるようになるなど、この名言を後世に伝える上で大きく貢献した。

北大には歴史的文書類が多数保存されており、正健氏の入学許可証は大学文書館が所蔵していたが、学位記(卒業証書)はしばらく所在不明だった。それを、松井博和名誉教授・当会理事長が知人から譲り受けたことから、2022年に北大に寄贈して、現在は大学文書館が保存している。文書館の井上高聡(たかあき)准教授によると「札幌農学校が初めて発行した学位記13件のうち、大学が収蔵するのは伊藤一隆のものに次いで2件目。入学許可証と合わせ、『入口と出口』がそろったのはこれが初めて」という。

【曾祖父大島正健の学位記(中央)と初対面して感慨深げな正伸さん(中央)。右は井上准教授=大学文書館】

学位記には正健の氏名に続いて、「農学士ノ位ヲ以テス因テ印ヲ鈴シテ永ク其令名ヲ證ス」などと記され、当時の校長である調所廣丈、教頭心得のペンハロー、開拓長官の黒田清隆の名が連記されている。ペンハローの名の左には自署とみられる筆記体のサインが確認でき、調所、黒田の名には朱印が押されている。「明治十三年七月十日」の日付と朱の「札幌農学校印」がある。

【大島正健の学位記(原本)】
【大島正健の入学許可証(原本)】

高等教育機関の学位記としては国内で最も古いものの一つで、井上准教授は「東大の前身がやや早く交付しているが、ほぼ同じ時期。大変貴重な歴史的資料です」と話す。

正伸さんはじめ大島家の人々はこれまでも多くの資料を大学に寄贈してきたが、正伸さんは卒業証書を目にしたことがなく、自ら訪問を望んでこのほど対面が実現した。大学文書館でこの証書(原本)に初めて向き合った正伸さんは、じっくり読み「大変感慨深い」と話した。

正伸さんは北大獣医学部OBの獣医学博士。現在、金沢大学ナノ生命科学研究所・がん進展制御研究所の教授を務めている。この日、北大を訪れ、宝金総長と面談。札幌農学校一期生ら7人が揮毫した寄せ書き(原本)を総長室で見学した。

【額装されて総長室に掲げられた一期生らによる寄せ書き(原本)の前で宝金総長(右)と語り合う正伸さん=総長室】

書の最下段には正健氏の手による次の漢詩が認められている。まさに馬上のクラーク博士の情景を描いた内容だ。

 青年奮起立功名
 馬上遺言籠熱誠
 別路春寒島松駅
 一鞭直蹴雪沢行
    懐クラーク先生
      大島正健

この寄せ書きを見た正伸さんは「曾祖父は文学博士で漢詩もよく書いていたが、この寄せ書きを見たのは初めて。感激です」と話していた。

【大学文書館では正健に関わる多数の資料がこの日の正伸さんのために特別展示された=大学文書館】

このほか、正伸さんはこの日文書館で、曾祖父に関する資料を多く閲覧。中には正健から宮部金吾に送られた書簡も複数あった。これらを見学した正伸さんは、「曾祖父が一期生でいた大学で、水産研究者だった祖父正満もいて、私もずっと憧れていた北大。大学に来て我が家に帰ってきた思いがします」と感激を表現した上で、「曾祖父がどんな思いでクラーク先生に学んだかを改めて知り、心が揺さぶられた。また宮部先生と仲が良かったようで、北大を辞めて同志社大学に行くときに宮部先生に送った手紙を今日初めて見ました。こんな立派な大学に曾祖父と祖父が深く関わっていたことを本当にうれしく思います」と話していた。

(事務局 写真も)